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東京高等裁判所 平成8年(ネ)598号 判決

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

理由

一  平成三年六月頃控訴人と興栄トラストとの間に本件不動産を目的とする本件売買契約が締結されたこと、同月二一日明治生命から控訴人に対し本件不動産購入資金の融資が行われ、両者間で本件金銭消費貸借契約が締結されたこと、控訴人と被控訴人との間に本件保証委託契約が締結され、これに基づき被控訴人が明治生命に対し控訴人の本件借受金債務について連帯保証したこと、被控訴人が、控訴人に対する求償金債権を担保するため、本件不動産につき抵当権の設定を受けたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない(ただし、本件売買契約の代金額の点を除く。)。

二  控訴人が平成四年三月二七日と同年一二月八日に明治生命に対し合計五四〇三万三五九〇円を支払って本件借受金債務を完済したことは、当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、控訴人は平成四年一〇月三一日本件不動産を代金一八〇〇万円で他に売却したことが認められる。

三  控訴人は、本件売買契約の無効・取消を主張し、販売店たる興栄トラストに対する右抗弁事由をもって、保証会社たる被控訴人にも抗弁しうる旨主張するので検討する。

1  本件売買契約の無効、取消について

(一)  控訴人は、本件売買契約は錯誤あるいは公序良俗違反により無効であるとか、詐欺による取消し得べきものであるとして、その理由についてるる主張する。

しかし、不動産の価格は、その時々における市場の価格形成機能によって決定されるのであって、通常不動産の売主が買主に対し、売買の目的不動産が将来値上がりし、必ず儲かる旨述べたことがあったとしても、特段の事情のない限りそれは単にその時点における見通しを述べたにすぎないと理解するのが相当である。また、市場の原理によって不動産の価格が決定される過程においては、国内の一般的な景気の動向(企業の投資意欲、消費者の消費傾向等)、金利水準、政府の金融財政政策のほか、海外の景気の動向、国際的な金利水準、さらには政治的な出来事、気象等の経済的事由以外の要因も影響を及ぼすものである。したがって、回顧的にみて、ある時期に景気の後退、不動産価格低落の予兆が認められ、あるいは特定の金融財政政策がその後の不動産価格の形成に重要な影響を及ぼしたことが判明したからといって、これをもって、直ちに、それ以前のある時点における予測及びその表明が単なる見通しの誤りの限度を超え、虚偽の事実を陳述したものということはできない。そして、これらのことは、本件売買契約締結当時乙山株式会社の部長代理であった控訴人(当事者間に争いがない。)にも、十分認識、理解することができたものと考えられる。控訴人は、興栄トラストにおいて、もし本件不動産が値上がりしなくても購入時と同額で売主である興栄トラストが買い取るから絶対に損失を生じることはない旨を述べたとか、保証したとかいうが、目的不動産が値上がりした時は買主はその転売利益を取得でき、値下がりしたときは売却損を負担しないというのは合理性を欠くもので、通常不動産の売主が買主に対しそのようなことを保証するとは特段の事情がない限り考え難いことであって(本件においては、これを認めるに足りる的確な証拠もない。)、仮に売主がそのようなことを述べたとすれば、それは文言通りの意味ではなく、売主が不動産価格についての強気の見通しに自信のあることを強調したにすぎないものと解するのが相当である。

(二)  右に説示したところに照らして考えれば、本件においても、仮に興栄トラストが控訴人に対し本件不動産が将来値上がりし、必ず儲かるとか、もし不動産が値上がりしなくても購入時と同額で興栄トラストが買い取るから絶対に損失を生じることはないとか、保証するとかの旨を述べたことがあったとしても、それはあくまで単に興栄トラストの不動産市況や価格動向について強気の見通しを述べたにすぎないものと解するのが相当であって、控訴人がこれを信じて本件売買契約を締結したとしても、直ちに本件売買契約の要素に錯誤があったとか、本件売買契約が公序良俗に違反すると認めることはできず、他に本件売買契約の要素に錯誤があったとか、本件売買契約が公序良俗に違反すると認めるに足りる証拠はない(なお、控訴人主張の売買代金額が当時の価格水準に照らして高額であったと認めるべき証拠はない。)。また、控訴人は、興栄トラストが控訴人を欺罔したと主張するが、前記のとおり興栄トラストが不動産市況の見通しを述べたとしても、これをもって控訴人を欺罔したということはできないし、他に興栄トラストが控訴人を欺罔したと認めるに足りる証拠はない(控訴人は、興栄トラストから執拗な勧誘があったとか、控訴人が単身赴任の準備のため冷静に判断する余裕がなかったというが、興栄トラストの勧誘が控訴人を欺罔したと評価するに値するものであったと認めるべき的確な証拠はない。)。

よって、控訴人の本件売買契約の無効・取消をいう主張は理由がない。

2  控訴人の抗弁権接続の主張について

控訴人は、前記のとおり本件売買契約の無効・取消を前提として、抗弁権の接続と称して、これを本件売買契約の当事者ではない被控訴人に対しても、抗弁事由として主張しうる旨主張するところ、前提たる本件売買契約の無効、取消の主張は理由がないこと右に述べたとおりであるが、念のためこの点についても判断しておくこととする。

(一)(1) 被控訴人と興栄トラストとがいわゆる住宅ローンについて業務提携していたこと、明治生命と被控訴人との間にも業務上の継続的な提携関係があったこと、本件融資金を興栄トラストが代理受領する約定があったことは、当事者間に争いがなく、また、控訴人は、本件売買契約においては、売買代金が特定の金融機関(明治生命)からの借入金によって一括弁済される旨の合意があったこと等、請求原因4(一)(1)に記載したような諸事情を指摘するが、たとえこれらの事情があったとしても、本件売買契約と本件融資に関する契約とは、契約の主体、契約の内容等を異にする別個の契約であり、控訴人は、興栄トラストと業務提携していた金融機関あるいは保証会社である明治生命や被控訴人との契約を利用するかどうかの自由を有し(例えば、控訴人が他から融資を受け、右融資金をもって本件売買代金を弁済することを妨げられる事情があったと認めるべき証拠はない。)、被控訴人及び明治生命においても、控訴人の本件融資に関する契約申込に対する諾否の自由を有していたことは明らかであるから、右のような諸事情があったというだけでは、控訴人がいう抗弁権の接続を認めることはできない。

(2) また、弁論の全趣旨によれば、本件売買契約及び本件融資に関する契約は、控訴人がワンルームマンションである本件不動産を購入するためにそれぞれ締結したものであることは認められるものの、そうであるからといって、これが控訴人が主張する抗弁権の接続を認める根拠となし得るものとは到底いえない。

(二)  また、控訴人は、請求原因4(二)(1)(2)(3)のとおりるる主張して、被控訴人は控訴人のため信用供与をすることを控えるべき信義則上の義務があったものとして、被控訴人は、本件売買契約と本件融資に関する契約が別個であることを理由に抗弁権の切断を主張することは許されない旨主張する。

しかし、不動産の購入者からの支払保証の委託を受ける企業である被控訴人が、不動産の購入者のため経済情勢の調査や不動産市況の予測をしたり、その結果に基づき融資を控えなければならない法的義務があったとはいえず、自ら積極的に虚偽の事実を述べるなどして購入者の購入の意思決定過程に関与したり、購入者の無思慮に乗じて融資に関する契約を締結させた等の特段の事情がない限り、金融機関あるいは保証会社としての判断に基づき与信行為をしても、なんら信義則違反に問われる理由はないといわなければならず、本件において右特段の事情があったと認めるべき証拠はない。

そして、控訴人は、被控訴人の行った本件不動産の担保評価が過大であったとも主張するが、被控訴人の本件不動産に対する担保評価は、本件保証委託契約締結当時の取引事例(近隣類似物件についての直近六か月以内のもの)を参考にしたものであることは、弁論の全趣旨によって明らかであって、これが不当に過大であったと認めるに足りる証拠はない。そもそも被控訴人による本件不動産の評価は、控訴人の本件不動産買受けの意思決定に資する目的で行われたものではなく、仮に、これが控訴人の右意思決定に影響を与えたとしても、それは専ら控訴人側の事情にすぎないのであるから、これによって信義則上控訴人が主張する抗弁権の接続を認めるべき理由とすることはできない。

不動産投資によって利益を得ようと企図する者は、自らの責任と判断で、不動産市況や価格動向を予測し、投資するかどうかを決断すべきことは当然であって、信義則違反をいう控訴人の右主張は、要するに不動産市況や価格動向についての自己の調査不足、予測判断の誤りの結果生じた損失を金融機関や保証会社に転嫁しようとするものであって、到底採用の限りではない。

(三)  したがって、抗弁権の接続をいう控訴人の主張も、採用することができない。

3  以上のとおりであるから、控訴人が主張する本件金銭消費貸借契約が無効または取消し得べきものであることを前提として、本件金銭消費貸借契約を原因とする控訴人の本件出捐行為をもって、法律上の原因を欠く給付であるということはできず、被控訴人が控訴人主張の前記求償債務を免れたことが不当利得になるということはできない。

したがって、控訴人の本訴請求は、他の争点については判断するまでもなく、理由がないものといわなければならない。

四  よって、控訴人の本件不当利得返還請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川英明 裁判官 高橋勝男 裁判官 下田文男)

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